人間の意思決定の多くは、無意識に行われていることが明らかになっています。もちろん、マーケティングにおける消費者の意思決定も例外ではありません。今回は、「ニューロマーケティング」や私の研究テーマのひとつである「ブランドラブ」などについてご紹介します。

「なぜ好きなのか」を答えられない消費者
多くの消費者は、お気に入りのブランドについて「なぜ好きなのか」を掘り下げて聞かれると、論理的に説明できなくなります。「オシャレだから」「高級だから」という答えの奥にある理由を突き詰めていくと、答えに窮したり、ブランドとは無関係な自身の価値観を語り出してしまうことがよくあります。
実は「嫌い」の場合も同様です。説明がつく「嫌い」なら売り方やイメージの工夫で「好き」に転じる余地がありますが、説明がつかない「嫌い」は、簡単な訴求方法の変更程度では購入にはつながりません。「説明がつかない好き嫌い」とは、本人の意識が及ばない「無意識の領域」で購買や選択の意思決定が下されている状態を指します。
こうした「無意識の領域」の判断は、マーケティングの世界では数値化されにくい情報として、長らく無視され続けてきました。しかし、消費者神経科学の視点から見れば、無意識のうちに判断を下すこと自体はごく自然な現象です。従来のマーケティングリサーチ手法であるアンケートやインタビューでは、こうした消費者の「見えざる心」を十分に捉えきれていませんでした。消費者神経科学の知見を生かして「無意識の領域の判断」を可視化する分野が「ニューロマーケティング」と呼ばれ、その中でも特に消費者行動を対象とする領域は「コンシューマーニューロマーケティング」と呼ばれています。
脳科学とマーケティングをつなげた「ペプシチャレンジ」
消費者神経科学やニューロマーケティングという言葉は、日本ではまだ馴染みが薄いものですが、欧米の著名なビジネススクールでは標準的な講義として開講されており、多くの企業が戦略的に活用しています。
ニューロマーケティングが注目されるきっかけとなったのが、1975年にペプシコ社が行った「ペプシチャレンジ」というマーケティング施策です。街頭でブランド名を伏せて飲み比べてもらったこのブラインドテスト企画では、多くの消費者がペプシを選びました。
2004年、神経科学者リード・モンタギューらがこの飲み比べをfMRI(脳機能画像)を使って検証したところ、ブランド名を隠すとペプシを選ぶ人が多い一方、ブランド名を見せるとコカ・コーラを選ぶ人が増加した上、味覚だけでなく記憶や感情に関わる海馬や前頭前野の一部が強く活性化していることがわかったのです。
実験結果が明らかになると、マーケティングの世界で働く人々は、「ブランド構築には記憶が重要」という自分たちの経験則が、脳神経科学者によって裏付けられたと感じました。さらに「広告投下によって記憶に残ることが海馬を活性化させ、ブランド構築につながる」という考え方が広まり、ニューロマーケティングの研究が加速するきっかけとなりました。現在は、ニューロマーケティングを含むブレインテック市場全体で、約5兆円の市場規模があるとされています。
「ブランドラブ」の正体を脳から読み解く
私が長年研究しているテーマのひとつに「ブランドラブ(Brand Love)」があります。ブランドラブとは、単に「好き」という感情ではなく、「価格が高くても選ぶ」、「他の商品では物足りない」と感じるほど、そのブランドに強い愛着を抱いている状態です。ブランドにとって、こうしたブランドラブを抱く「ブランドラバー」を増やすことは重要な目標であり、そのためにはブランドを好きになるメカニズムの解明が欠かせません。
これまで世界中で多くのブランドラブに関する脳科学研究が行われてきましたが、研究ごとに結果が異なり、脳のどの部分が関係しているかは明らかになっていませんでした。そこで私は、世界中の研究結果を集めた上で数学的な解析手法を用いて整理し、ブランドラバーが購買や選択の際に使っている脳の部分をおおよそ特定することに成功しました。現在、この研究成果は基礎研究として世界中の研究者に引用されています。
さらに「ブランドラブは恋愛と同じなのか」というテーマでも研究に取り組んでいます。マーケティング業界では「ブランドと消費者の関係は恋愛関係に似ていると語られることがあります。そこで、恋愛感情とブランドラブに関する研究データを比較しました。その結果、恋愛感情とブランドラブでは脳の働き方に明確な違いがあることを明らかにしました。これは、人と人の恋愛理論をブランドと消費者のマーケティングに応用しようとすると失敗することを意味します。このように、ブランドと人との関係性をニューロマーケティングの視点から明らかにすることも、私の研究テーマのひとつです。
ブランドは「無意識の心地よさ」が強くする
私の研究では、習慣性や常習性をコントロールしている脳領域の近くに、ブランドラブで活動している領域があることが明らかになりました。領域が近いということは、一度ブランドラバーになれば忘れることができなくなり、離れようとしても離れられないことを意味しています。強いブランドを作るには、海馬を刺激して記憶させるだけでは不十分で、無意識に心地よさを設計して安心感を持ってもらうことが重要です。
マーケティングは「モノやサービスをいかに買ってもらうかを考える学問」ですが、それは相手を理解して「どうすれば好きになってくれるのか」を考え続けることだと思います。それには常に、消費者や商品、サービスに対する愛や優しさを持って接する必要があり、それこそが、これからの社会で求められる力につながるのではないでしょうか。

