• 2021/01/25

    福井 誠

アフターコロナの世界を考える

インターネットが一般公開されたのは1990年代前半。その後、急速に普及してわれわれの住む世界を一変させました。今回、コロナ禍という大きな出来事が起こりましたが、この先コロナ禍が収束した頃に、世界はどうなっているのかインターネットと大学を素材にして考えてみようと思います。

インターネットは3つの世界に分かれつつある

私自身もインターネット元年と呼ばれた1994年以前からインターネットを利用しており、現在はインターネットの産業化や人々の行動に与える影響などについて研究しています。産業化や行動変容という視点からインターネットの世界を見ると、インターネット誕生の頃は、アメリカ西海岸のヒッピー文化そのものだったと言えます。Apple創業者のスティーブ・ジョブズもそのような西海岸の文化を浴びて育ちました。その影響からコンピュータを人々に行き渡らせれば、みんな幸せになれるという理念に基づいて行動することになったのです。そうした理念的な行動からはじまったのですが、その後は徐々に産業化へと進んでいくことになります。
産業化の視点で考えると、検索などを通じた情報提供型からインターネットバブルの崩壊を機に参加型に変わり、利益を生み出すビジネスモデルも広告型から最近では個人情報の活用へと変化しました。
こうした変遷を経て、現在のインターネットの世界は「データエコノミー」、「個人の権利保護」、そして「デジタルレーニズム」という3つの方向にわかれて進みつつあると考えています。
データエコノミーは、GAFAの台頭にあるようにアメリカが中心です。今や個人情報はインターネット上の『石油』や『新たな通貨』と言われるほど高い価値を持っています。
しかし、アメリカを中心とするデータエコノミーの拡大に反旗を翻したのが、個人中心の文化が根強く存在するヨーロッパです。GDPRなど個人の権利保護を打ち出して、アメリカ型データエコノミーの拡大を食い止めようとしています。
また、監視社会下での人々の振る舞いを評価関数で制御しようとする試みと、ICT技術やAI技術が結びついて誕生したのがデジタルレーニズムです。中国では、個人の信用スコアで人を選別するアルゴリズムをもとに、政府が『社会信用システム』の構築を進めているといわれています。
このようにインターネットの世界もコロナ禍の前にずいぶん変わりつつあったわけです。この変化をコロナ禍が10年ほど早めた、と考えることができます。

コロナ禍が大学に突きつけたこと

一方で大学もコロナ禍で、大きく変化しました。
コロナ禍の現在、大学に通学して教室で仲間とともに授業を受けるといった当たり前なことが貴重な時間となりました。学生は先生の研究室を訪れることもままなりません。
しかし、それ以前も大学内において学生同士で集まる場所は食堂ぐらいしかなく、学内でのコミュニケーションはあまり考えられていませんでした。それが露呈しただけなのかもしれません。
それ以上に大事なことは、このような変化を通して、従来は当たり前と考えられてきた同じ時間に同じ教室に来て講義を受けること、すなわち同期的な学校の運営スタイルそのものに疑問も生まれてきたことなのかもしれません。現在、コロナ禍を受けて、先生と学生、あるいは学生同士がつながる場は、オンライン会議システムやSNSに代替されています。緊急避難的にはじまったオンライン教育ですが、このような形で講義を行うことにほぼ問題ないことも次第に明らかになりました。
また、コロナ禍によって起こった社会や大学の変化は、今後ワクチンや治療薬が開発されればウソのように元通りに戻るでしょうか。私は元通りには戻らないと考えています。そのぐらい生活の深い部分で変化が起こったと考えているからです。
そうなるとアフターコロナの大学は、従来の同期的な教室というリアルとSNSなどのオンラインが相乗効果を生み出せる体制を構築する必要があります。それができるかどうかが、大学が生き残れるかどうかの分岐点になると考えています。

リアルとオンラインで相乗効果を生み出す必要性

武庫川女子大学経営学部は、校舎内がオープンスペース主体になっており、従来の同期的な学びを得るための教室は最小限とし、オープンな学習空間がメインです。つまり、従来の大学の校舎とは異なる非同期のコミュニケーションを想定した空間なのです。また、授業や校舎内でさまざまな社会人とコミュニケーションできる仕掛けも用意しています。校舎を飛び出して実践学習をしながら、非同期な校舎で友人や社会の人々と接点を持ちながら自分の問題意識を発見できる形が作られているなと感じます。実は、コロナ禍以前にこの校舎を設計したとき、今の状況は想定していませんでしたが、結果的に時代にマッチした校舎になりました。きっとこれから、他大学にはない出会いがこの学部で生まれるでしょう。
これからアフターコロナの世界では、学生が学びたい時に学びたいことを学びたい時間に学びたい場所で学べる、すなわちオンデマンド授業が当たり前になるでしょうし、それができない大学は淘汰されていくかもしれません。
そうなると従来型の校舎を備えた大学は、校舎内の「場」を再定義する必要があります。「場」は愛着を生みますが、愛着が強くなると執着につながります。私は武庫川女子大学経営学部の校舎は「空間」としての性格を強化して、自由や憧れが生まれる場にしていきたいと思っています。

個の力を磨き、変化に対応できる人に

これからの時代を生きぬくには、個の力を身につけていく必要があります。
「場」への愛着は力は、ともすれば「個」を集団の中で無力化する力を発揮してしまいます。しかし「空間」の中では「個」は自由です。閉鎖的な「場」に留まり続けるのではなく、個人が自由に複数のコミュニティ空間を選び選択する時代です。もともと大学は「場」ではなく「空間」としての意味が強かったのではないか、と今から振り返ると感じます。個の力を備えた自立心があれば、コミュニティの中で自分の役割が自然に認識できるでしょう。主体的に学習するには、まず「個の自立」が必要ということです。
今の大学生たちは、残念なことにコロナ禍で頻繁に大学に来ることができません。しかし、それは先輩の誰もが経験したことがない経験です。しかしこのような経験は自分を成長させ、新たな自分を発見するのに最適な機会だ、と考えることもできます。
世界を一つにつなぐ手段として期待されてきたインターネットも最初に分析したように分断を促す方向に向かっているようですが、アフターコロナのインターネットの方向をよく理解し、インターネットに使われることなくこれらを上手く使いこなしながら、一方で場の制約にも従属しない自由な「個の力」を成長させることで、どのような変化にも対応できる人をめざしましょう。

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